お酒はどうして飲むと減るのか【…?】
世の中のお酒好きには未解決の難問があります。それは「お酒を飲むとなぜか減ってしまう」という問題。現象としては確かにそのとおりの事が起こってしまうわけだが、おかしい。昨日は瓶のここまであったのに、今日はここまでになってしまった…、そんな問題がなぜか起こりうるのだ。
「減る」とはなにか
まずは言葉の意味と感覚から理解しましょう。
減る…
ある一定の基準値から数値が変化して減少、または、収束すること
つまり、お酒を飲む前の一定の基準を設けて認識することで、減少幅を認識する基準になってしまっている、これがいけない。
つまりこういうことだ。昨日の基準値を覚えている、定めているから、それを基準にして「減少」を認識することになる。
昨日という1日はあったかもしれないが、お酒の基準値は常に今日を意識していれば、差を見て減ったという感覚にはならない。
「お酒を飲む」とはどういうことか
次に問題になるのが「お酒を飲む」行為によって減るのは悲しいけれど、ペットボトルの水を飲んで減ってもそんなに悲しくないという点である。ここで絡んでくるのは
- 入手しやすい価格かどうか
- 気持ちよく酔えるかどうか
- 自分を癒やしてくれるか
- おいしい味がするかどうか
という要素だ。世の中には2種類の人間がいて
- グラスでガバガバお酒を飲める人
- お猪口1杯でほろよいできる人
- お酒1滴でべろんべろんになる人
がいるのだ。お猪口1杯やちょっとでもアルコールダメな人は「どうしてお酒減ってしまうん…」なんて考えない。300ml瓶の梅酒を買っても2週間、3週間かけて飲み切るので、基本的に「なかなか減らないな」とさえ思っている。
しかし、300mlの梅酒を15分くらいで飲みきってもなお、がぶ飲みできる人にとっては「どおしてなくなってしまうん…」となるわけだ。これは問題である。
ポイントは酔えているかどうか
ここで大切になるのは「気持ちよく酔えているか」どうかである。がぶ飲み勢でもショット1杯でおいしくて気持ちよく酔えていれば満足できる(はず)のだ。
例外:お酒を飲みたい=馬鹿騒ぎしたい=がばがばビールを飲んで騒ぎたい、という種類の楽しみ方をしたくて「オサケノミタイ」と考えている人もいるが、こういう層は「ナンデナクナッテシマウン…」とは考えていないので問題ない。本人が満足していればそれでよい。
酔えていないから、酔うために量を消費して、昨日との差に絶望してしまう。
追加で買えばいいじゃん
違う、そうじゃない。断じて、そうことじゃない。
お酒が減ってしまって悲しいという感情の話であって、解決策の話ではない。そういうことじゃない。なぜ、昨日はここまであったのに、今日はここまでになってしまったのか、そこが問題なんだ。
「失ったのか…」という感情を持ってしまっている状況がいけないのである。
解決策
我々は、お酒を飲んで、酒瓶の内容量が減っていることに悲しみを感じるが、それは目で見たことしか思考していないからだ。
我々が飲んだお酒はどこへ行った…?
そう、我々の中で増えたのだ!!
お酒は決して減っていないのである。我々が飲んで体内に入れたのだから、我々の中では確実に増えている。つまり、自分の目を自分の眼球では見れないのと同じで、でも、確かにそこにはあるのだ。
お酒は減っていなかった!
目の前の減少幅に悲しむことはもうない。我々のお酒は減っていない。我々とともにある。むしろ増えている。
私たちは、もっと自分の内面や、内側の問題にも目を向けるべきだ。目に見えている変化は確かにそうかもしれないが、内側ではどうなっているか分からない。心と同じだ。
当然、無駄に飲みすぎれば人体の許容量を超えて溢れて出てしまう。これは非常にもったいない上に、本来は入れられた分のお酒を溢れさせているので不適切である。そんな飲み方をしてはいけない。確実に体内に閉じ込めるべきである。だから、お酒を飲む量は程々にしないといけない。
お酒は減ってなどいなかった。我々とともにある。
さぁ、今日も楽しく、飲みましょう。